ベルギーのフランダース地方を構成する東フランダース州(オースト=フランデレン)と西フランダース州(ウエスト=フランデレン)でつくられるレッドエールとブラウンエールは、長期間熟成、サッカロマイセス酵母、そして別の野生に近い微生物による混合発酵(ミックスファーメ―テーション)をおこなうという点で、とても近いタイプのビールだといえる。ブリュッセル近郊のランビックのように、現代に生き残った数少ない伝統的なサワーエールの一つで、いくつかの銘柄は世界的にも知られるようになった。今では多くのブルワーやクラフトビールファンがサワービールに惚れ込んでいるが、伝統的なフランダースのエールは、醸造の世界、とくに北米に大きな影響をもたらしてきた。そしてようやく日本でもいくつかのブルワリーがこのスタイルのビールに挑戦するようになってきた。
フランダースのレッドエール(ブラームス・ロート・ブライン)とブラウンエール(ブラームス・オード・ブライン)の大きな違いは、まずつくられる地域にある。レッドエールは西フランダース州で、ブラウンは東フランダース州、とくにアウデナールデ周辺でつくられている。このスタイルのビールを醸造している10余りのブルワリーでは、ばらつきはあるものの、一般的にはカラメル麦芽などさまざまな濃色麦芽を使用している。ブラウンはレッドに比べ、焙煎度合いが深い麦芽が用いられることが多く、色も濃く、チョコレートやコーヒーにも似た豊かな風味がある。そして、レッドエールはオーク樽や大きなオーク材のフーダー(木製の熟成タンク)で二次発酵させることが多いが、ブラウンは通常スチール製タンクで再発酵される。
両スタイルに共通するのは、数か月または数年にわたり熟成させたビールだという点と、ビール酵母で発酵させたあとに、野生酵母や微生物によって混合発酵をおこなう点である。出来上がりは、ピリっとした酸味、または「ファンキー」な特徴を持つ。出荷時には、バランスと炭酸ガスを含ませるために、熟成させたビールと若いビールをブレンドすることが多い。
ローデンバッハ醸造所はフランダース・レッドエールのメーカーとしてはおそらくもっとも名の知られたブルワリーだ。1821年に創業し、近年経営権が移ったりしたものの、現在もビールを世に生み出している。ブルワリーの所在地、ルーセラーレの町は訪れるにはやや不便な場所ではあるが、ここではベルギーの中でも有数のブルワリーツアーを体験できる。ツアーでは、熟成蔵の中に入り、巨大なオークフーダーがいくつも並ぶ壮観な光景を見ることができるのだ(写真参照)。ローデンバッハのすべてのビールはこのフーダーで2年以上熟成されたレッドエールがベースとなっている。このビールは、特徴的な酸味に、リンゴ、サクランボ、乳酸、バニラ、酢酸(酢)とカラメル麦芽の香りを持つ。「ローデンバッハ・クラシック」(アルコール度数5.2%)は初めてでも飲みやすいようにつくられていて、熟成ビール25%と若いビール75%という比率でブレンドされている。その結果、味わいは甘味がありシンプルだが、ほのかに伝統的なローデンバッハの味わいを感じるビールに仕上がっている。「グランクリュ」(6%)は同ブルワリーの旗艦ビールで、ブレンド比率は熟成ビール67%、若いビール33%。酸味が際立っていて、オーク、バニラとサクランボの香りが強めだ。かつて、著名なビール評論家の故マイケル・ジャクソンが「世界一さわやかなビール」と評したが、現在もその言葉のとおりかもしれない。年に一度リリースされる「ローデンバッハ・ヴィンテージ」は、ブレンドせずに、その年の最高の仕上がりになったフーダーのビールだけを瓶詰めしたもの。ローデンバッハの真髄を堪能できるビールである。ふくよかで酸味があり、なおかつファンキーなヴィンテージは深いオークの香りが立ち、余計な甘味が抑えられている。毎年わずかな味の違いがあるので、飲み比べてみるのも楽しいだろう。
ローデンバッハでは、レッドエールに果物を加えたビールもリリースしている。「キャラクテール・ルージュ」はサクランボ、ラズベリーとクランベリーを浸漬したもので、「ローデンバッハ・アレクサンダー」はサワーチェリーが漬けこまれている。どちらも弾けるようなみずみずしい果物の香りが漂い、まだ熟成が進んでいない段階では甘味が強め。瓶内で発酵が進むにつれ、甘味は減っていき、熟成エールの特徴が出てくる。個人的には、2年から10年以上熟成させるのをおすすめする。
また、フィヒテという町で家族経営を続けるヴェルハーゲ醸造所のレッドエールも、日本では目にする機会が多い。根強い人気の旗艦ビール「ドゥシャス・デ・ブルゴーニュ」(6.2%)は深い赤みがかった茶色で、サクランボ、リンゴ酢とカラメルの香りに、甘味と酸味を感じる味わい。ベルギー国外ではあまり流通していない「ヴィヒテナール」(5%)よりも甘味が強く、濃厚な味だ。ヴィヒテナールは、軽やかでしっかりとした酸味で、伝統的な味に近く、このスタイルにより忠実な仕上がり。「エヒテ・クリーケンビア」(6.8%)はサクランボを浸漬して発酵させたレッドエールで、年数の異なるものをブレンドしたビールだ。またヴェルハーゲ醸造所では近ごろ「ドゥシャス・チェリー」と「チョコレート・ドゥシャス・チェリー」をリリース。飲む前は、人工的な味わいがするのではないかと懐疑的だったが、いい意味で裏切られた。両方とも、丸のサクランボが木樽のビールに追加されていて、チョコレート・チェリーの方がデザート感が強いものの、うんざりするほどではまったくない。エヒテ・クリーケンビアの方がキレがあり、さわやかな味わいである。
これ以外で、探し求める価値のあるフランダースエールとしては、バヴィーク醸造所の「ペトルス・エージドペール」「ペトルス・オード・ブライン」、ティママン醸造所「ブルゴーニュ・デ・フランドル」や、オークの風味が強く酸味があり、ファンキーかつ素晴らしい味わいのストゥルブ醸造所「イヒテヘムズ・グランクリュ」が挙げられる。デ・ドレ醸造所「ウルビア・スペシャルリゼルヴァ」も熟成レッドエールで、格別な味だがなかなか入手できないので、もし見かけたら買うことをおすすめする。西フランダースを象徴する伝説的なストライセ醸造所によるレッドエールも同様に、見つけたらすぐ飲んでみよう。購入は難しいかもしれないが、ベルギービールを扱うビアバー「デリリウムカフェ」の店舗で時折お目見えすることがある。
東フランダースのブラウンエールで、もっとも有名なのはリーフマンス醸造所のビールだろう。その歴史は数世紀前にまでさかのぼるが、現在はデュベル・モルトガット社の傘下に入っている。資本投入によって経営の危機的状況は免れたが、一般的な消費者向けに、伝統よりも飲みやすさにこだわったビールも生産することになった。「フリテッセ」(3.8%)はまさにその良い例で、熟成ビールよりも果物ジュースの味が強い。しかし、少し甘すぎるとはいえ非常にさわやかな仕上がりで、なにより見つけやすい。モルトガット社が、リーフマンスの最高傑作「グーデンバンド」(8%)の生産を続けるかぎり、フリテッセのようなビールをつくっていることを許してあげよう。グーデンバンドはこげ茶色で、チョコレート、ヨーグルト、サクランボとカラメルの深い豊かな味に、ほんのりとビネガーの香りが漂う。ブラウンエールはオーク樽ではなくスチール製のタンクで熟成されるので、多くのレッドエールのように酸味は強くないが、ブルワリーに生息する酵母や微生物によって厚みが出る。このビールも熟成期間が長ければ長いほど美味しさが増すビールである。
リーフマンスもサクランボを使ったビールをつくっている。鮮やかな赤色に、わずかな甘味とほどよい酸味が感じられる「クリーク・ブリュット」(6%)と、シナモン、クローブ、スターアニス(八角)を使用した、温めて飲むためにつくられた「グリュークリーク」(6.5%)の2種類だ。ホットビールになじみのない人は驚くかもしれないが、寒い時期にはよく飲まれている冬のごちそうだ(冷やして飲んでも美味しいが)。
ほかのベルギービールのように、フランダースレッドとブラウンエールは世界中で広く親しまれ、北米ではレベルの高いこのスタイルのビールが続々と誕生している。先陣を切ってつくられ、かつ品質の高いビールの一つとして代表的なのがニューベルジャン「ラフォリー」だ。日本にも輸入されているが、数は少ない。ラフォリーは、フレンチオーク材のフーダーで、フランダースブラウンエールを数年熟成させてつくられた、米国でも先駆けのサワービールである。青リンゴ、サクランボ、オークとビネガーの香りが立ち、しっかりとした酸味のあるビールだ。ほかに日本でときどき見かけるのはカスケードブルーイングのビールやブルーリーの「オードタート」シリーズなどがある。
スイスのブルワリー、BFM(ブラッセリー・デ・フランシュ・モンターニュ)の「アベイ・ドゥ・サン・ボンシェン」(11%)も比較的入手しやすい。このストロングエールはワイン樽で熟成されていて、名前からはフランダースに関係があるようには思えないが、影響を受けているのは明らかだ。各年の味は若干違いはあるものの、コクと酸味があり、危険なほどに飲みやすい。特別なワインやスピリッツの樽で熟成させたものはグランクリュとして販売されている。
フランダーススタイルで、混合発酵させたレッドとブラウンエールは、日本ではまだ珍しく、つくられている数は多くないが、少しずつ状況は変わってきている。長野県のアングロジャパニーズブルワリー(AJB)と静岡県のカケガワビールは、オーク樽で熟成させたブラウンエールを続々と発表している。カケガワビールのブルワー、西中明日翔はベルギー人の母親を持ち、ベルギーで長い間暮らしていた(本誌第48号参照)。彼は、ブラウンエールを国産ウイスキー樽で野生酵母によって熟成させている。「ジャパニーズ・ウイスキー・バレルエージド・オード・ブライン」と「ブラームス・オード・ブライン」(6%)シリーズとしてリリースされているが、2019年版を飲んでみた。こげ茶色で、バルサミコ酢、サクランボ、リンゴと、ステーキソースがわずかに感じられる香辛料のような香り。口に含むと、まずオークが際立ち、あとにはカラメル麦芽、バニラ、黒酢と強いうま味が残る。バージョンごとに少しの違いがあるだろうが、とても複雑な味のビールだ。
AJBのトム・リブシーは、2016年のバレルリザーブシリーズを皮切りに、フランダースエールにインスパイアされた数多くの木樽熟成ビールをつくっている。2021年版の「峠越え」(7.5%)はブラウンエールで、これまでの集大成といったビールだ。2019年に京都醸造とつくったビールをワインとウイスキー樽両方で2年熟成させ、さまざまな微生物によって二次発酵させている。ほれぼれするような濃い茶色に、サクランボ、チョコレート、カラメルとバルサミコ酢の香りが立ち、酸味、甘味、果実味のある麦芽の特徴が出たこの上なく美味しいビールだ。AJBはオークフーダーもあるので、今後どのようなオードブラインが出てくるか楽しみである。
ケトルサワーブームの中、フランダースレッドとブラウンは、頑固なほど昔ながらの製法にこだわっているように思える。ある意味ではそうかもしれない。なぜなら、深みのある複雑な味は、追加された果物や香辛料由来ではなく(使われることもあるが)、二次発酵のあいだに、ブレタノマイセス、ラクトバシラス、ペディオコッカスなどの酵母や、熟成させるオーク樽由来の微生物、さらには発酵前に樽やフーダーに入れられていた飲料による影響もあって、ようやく生み出されるものなのだ。材料と場所を必要とし、時間もかかる。すぐ出来てしまうケトルサワーのアンチテーゼともいえるビールだ。しかし、手間ひまかける価値はあるし、ようやく日本のクラフトブルワリーから秀逸なビールが出てきている今、この伝統的なスタイルに挑戦しようというブルワーが増えてくることを願っている。


