by Lars Marius Garshol
セゾンはかつて、ほかのビールとは毛色の違うスタイルとして異彩を放つ存在だった。それは、ブルワリーではなく農場(ファームハウス)で、自分たちが飲む目的で農家の人々によってつくられていたからである。しかしここ数年で、セゾンは「ファームハウスエール」という分類の中で、わずか一部分に過ぎないということが認知されるようになってきた。例として、フィンランドのサハティやスウェーデンのゴットランズドリッケなどもファームハウスエールなのである。
奇妙だ。フィンランドの田舎、バルト海に浮かぶスウェーデンの島と、ベルギーの西部に共通するものはあるのだろうか? 農家による醸造という点以外、とくにはない。ファームハウスでの醸造は、予想よりもはるかに広い範囲でおこなわれていた。全体像をつかむためには歴史を少したどる必要がある。そう遠くない昔の世界は、我々が想像していたものとはかなり違っていた。そういった認識の違いが、ビールの歴史の大部分が見過ごされてきた要因だといえよう。
産業革命以前(多くの地域ではそのあとも)、農家はおもに穀類を育てることで生計を立て、また自分たちでもそれを消費していた。農業はほとんど自給自足で成り立っていた。人々は収穫したものを食料にし、衣服、家や農機具などもつくっていた。また、農場では栽培できなかったという理由で、紅茶やコーヒーを飲むという習慣は田園地方ではなかなか浸透しなかった。それらはお金を出して購入する必要があり、農家の多くは裕福ではなかった。
穀類を栽培する農家は、収穫すればビールづくりに必要な材料がほとんどそろうため、気軽にビールづくりができた。あとは、麦を発芽させて醸造するのみ。ホップの栽培用に小さな区画を設けることも難しいことではなく、また酵母(野生酵母を含む)も、新しくつくるビールに前のビールを継ぎ足すことで保持できたのである。
産業革命以前は、人口の大部分を農家または農場労働者が占めていた。食料として十分な量の穀物を確保できれば、余った分を醸造にまわすことでお金をかけずにビールがつくれるということもあり、農家はビールづくりに励んでいた。しかしブドウの栽培が可能な地域は例外で、それは穀物を育ててビールをつくるより、ブドウからワインをつくるほうが簡単だからである。そのため、欧州南部の農家はワインを、北部と東部の農家はビールを飲むという構図が出来上がっていった。
そうすると、ベルギー西部、スウェーデンのゴットランド島と、フィンランドの一部地域に共通するものが見えてくる。ほかの場所では自家醸造をやめていったのに対し、これら地域の農家はビールをつくり続けていた。人里離れた過疎地という立地だったために、彼らは20世紀になっても自給自足の生活を送っていた。また、人口が数千人ほどで、伝統を引き継ぐのには十分な人数が集まっていた。しかし、ベルギー西部はこれには当てはまらない。ビールづくりの伝統が続いた背景として、商業化したことが影響を及ぼしたといわれている。
上記でも触れたが、ここ数年でわかったのは、農場での醸造は、認知されていたよりもはるかに多くの場所でおこなわれていたということ。
自家醸造だったので、外部からは貯蔵室や納屋になにが置かれているのか知るよしもなかったのである。看板もなく、ほとんどのビールは販売所もなかった。初期に発見されたビールのつくり手の多くは商業的に販売するようになったが、その地域は平地で肥沃な農地があるリトアニア北部という、思いも寄らない辺ぴな場所だった。
2010年初頭、筆者がリトアニアの首都ビルニュスを訪れるようになったとき、大量生産型のビールはもちろんあったが、近代的なリトアニア特有のめずらしいビールも売られていた。さらには、謎めいた数多くのビールにも出くわした。筆者はこれらがどういうビールなのか見当もつかず、聞き回ってもだれも説明ができないようだった。
しかし、リトアニアのブルワリーツアーに参加すると、ようやく理解しはじめた。なかには大量生産型のビールに近いビールもあったが、それ以外はまったく異なるものだった。ファームハウスのブルワーであるラムーナス・チザスは、ビールの醸造方法は祖父から彼の父親が受け継ぎ、チザスは父親から学んだと説明してくれた。彼の祖父が使用していた醸造器具は、鉄釜以外はすべて木製のもの。酵母は醸造のノウハウとともに引き継がれ、ホップは醸造所の壁で栽培されていた。
しかし一番驚いたのは、醸造の際、彼がマッシュ(糖化液)をオーブンで焼くということだ。彼の醸造工程は、今まで見聞きしていた近代的な製法とはかけ離れている。翌日、それがなにを意味しているのか理解しようと思いをめぐらせていた。すると、このリトアニアのビールが現代のビールとこれほど違うのは、本質的に現代のビールなのではなく、リトアニア北部の辺ぴな地域でどうにか生き残った、農家たちの「伝統」という、まったく別のものだからだと徐々に理解するようになった。
共産主義下では商業的なビールの質が低かったため、多くの農家が自分たちでつくったビールを販売するようになった。ソビエト連邦が崩壊すると、チャンスとばかりに農場をファームハウスブルワリーに変える農家が続出した。前出のラムーナス・チザスのブルワリーも、もとは納屋だった建物を改装したものだ。
筆者の住むノルウェーに戻ると、また一つ気づいた。そういえば、ノルウェーにも似たようなものがある! ノルウェー中央部にあるスチェールダルでは、非常に変わった、とてつもなく燻製香が強いビールを農家がつくる伝統があることは以前から知っていた。もしかしたら、ほかにもあるのではないだろうか。
カナダ人ジャーナリストのマーティン・ティボーと協力し、ノルウェーのファームハウスブルワーを探すべく、インターネットを駆使して9ヶ月以上時間を費やして探し続けた。そしてついに、我々はノルウェー西部と中央部へと1週間の旅に出た。すると道中、数々の衝撃の事実が発覚したのである。ファームハウスの醸造は、ノルウェーの広範囲の地域で現在でもおこなわれているだけでなく、存在するとはつゆほども思っていなかった大規模なビール文化の一部を成していたのだ。
ノルウェー西部のヴォスで、ラムーナス・チザスと同様、代々受け継いだ酵母を使用してつくるブルワーに出会った。彼は、糖化液が摂氏39度のときに酵母を投入すると話した。にわかには信じがたい! 39度のような高い温度では、発酵できないはずだ。しかし、その酵母は実際に、これまで体験したことがないような香辛料とオレンジの香りを生み出していた。
数日後、年配の男性グループが、花柄が描かれた木製の容器でビールを提供してくれた。これで飲むのがノルウェーの伝統的なビールの飲み方だ。容器をじっくり見てみると、そのふちには文字が書かれていた。
Før sto jeg i grønne lunder,
nå slukker jeg tørste munder.
(青々とした林に立っていたが、
今はカラカラののどを癒している)
この容器は筆者に話しかけているようだ! そして、あとでこれもまた伝統の一つだと知った。ビール容器の韻文は、じつはノルウェーでは文学のジャンルとして確立されているのだ。
彼らはまた、地元では糖化液を煮沸させずに醸造する人がいることも教えてくれた。それまでは、煮沸しないと飲めないほどに酸味が強くなるので、煮沸せずにビールをつくることは不可能だと考えられていた。次の日、ある農家の人が、煮沸しないエールを飲ませてくれたが、まったく酸味は感じず、さらに通常のビールとは味がまったく異なる仕上がりになっていた。
今まで体験したことがないような1週間が過ぎた。終わりのころには、驚きすぎて新しい情報を受け付けないほどだった。最後に訪れたブルワリーに関してはメモをほとんど取っていなかったほどである。もうこれ以上、新しい発見を取り込むのは無理だったのだ。
この旅で筆者の人生は変わった。そして、ほかにもまだ知らないことがあるのではないかと好奇心が刺激され、調べてみると、まだまだ存在していた。似たようなブルワーはノルウェーの東部にも、バルト海に浮かぶエストニアの島々にもいた。そしてラトビア東部。ベラルーシにも。ロシア中央部や、さらには英国にも! その大部分は自宅で飲むためのビールをつくる本当の意味でもファームハウスブルワーだが、なかには売り出しているブルワーもいる。
また、北ヨーロッパの記録保管所や博物館には、ファームハウスによる醸造について、膨大な量の民族学的な文書が残されていることが判明した。現在は消えてしまった、かつて欧州各地でおこなわれていた醸造方法を再現することも可能だ。
本物のファームハウスエールについての情報は、筆者を含め、数多くの研究家から発表されているが、ビール自体は手に入りにくい状況が続いている。リトアニアでは、ファームハウスの醸造方法を忠実に再現している商業的なブルワリーが数社ある。エストニアには二社、フィンランドにもいくつか、ゴットランド、デンマーク、ノルウェーにもそれぞれ一社ある。これらのビールはほとんど輸出されていない。
現代のビール愛飲家が飲めるようにと、これらのビールを再現するべく商業的なブルワリーをはじめたブルワーも中にはいるが、こういったビールをまったく知らない人々が集まる市場で売らなければいけない。そして、飲んでみたとしても、消費者はこれまでのビールとはまったく違う、変わったビールだと思うことだろう。
これだけ豊かな歴史を持つファームハウスエールだが、この中で唯一、国際的に認知されるようになったものがある。クヴェイク(kveik)と呼ばれるノルウェーの酵母だ。ヴォスのブルワー、シグムンド・ゲルネスは酵母を分けてくれ、そこから我々は自家醸造家、酵母の研究所や商業的なブルワリーに配った。するとあとを追うように、ほかの多くのクヴェイク酵母も世界に広がっていった。
オフフレーバーになることなく、40度までならどの温度でも発酵することができるという理由で、とくに自家醸造家のあいだでクヴェイクは人気を集めている。また、発酵のスピードも速く、2、3日後には美味しいビールが出来上がる。そして、酵母自体が強いので、酵母の扱いによってビールを台無しにするリスクも抑えられるのだ。
これらの酵母は、通常の酵母よりも香り高く、オレンジ、パイナップル、バナナなどの南国フルーツのような味わいが生まれる。しかしこれは好みが分かれてしまうので、酵母の研究所では、香りがひかえめな菌株を見つけており、好評を得ている。
忘れられた時代から現在にいたるまで、奇跡のように生き残ったファームハウスエールの未来はどうなっていくのだろう。人々が飲み続けるなら残っていくだろうが、どれくらいの期間続いていくのかは予想が難しい。多くのビール愛飲家は、これらのビールを飲んでみたいビールのリストに入れているだろうが、入手の難しさゆえに、残念ながら実現せずにずっとリストに入ったままになるかもしれない。しかし、のどの渇きと行動がともなえば、きっと本物のファームハウスエールにありつくことだろう。


