山梨県北杜市に位置する八ヶ岳ブルワリーは、1997年創業の歴史あるブルワリーだ。初代ブルワーは、キリンビールで「一番搾り」などの開発責任者を務めたことで有名な山田一巳が務めた。ブルワリーは清里高原の観光名所である萌木の村ROCKに併設されており、27年以上にわたり、彼らのビールはこの地を訪れる多くの人々の喉を潤してきた。2024年6月からは、新たにヘッドブルワーとして、日本クラフトビール界で知られる宮下天通を迎え入れた。宮下は長年、同県の富士桜高原麦酒で活躍してきた実績を持つ。このニュースについては、本誌59号に掲載した志賀高原ビールの佐藤栄吾との対談でも話題に上ったが、今回は宮下本人に直接話を伺った。
八ヶ岳ブルワリーでのヘッドブルワー就任、おめでとうございます!半年ほど経ってみて今の状況はいかがですか?
6月に入社し、約3ヶ月間はイベントに参加したり、前任のブルワーと一緒に定番ビールのいくつかを仕込みました。その後もマニュアルを見ながら覚えることに必死でしたが、10月後半頃になるとだんだんと慣れてきて、清里の伝統を守りつつ改善をおこなったり、私らしさを取り入れたりする余裕が出てきました。例えば、富士桜ではすべての設備がオートメーションで、ヒーティングも自動で温度を上げてくれますが、ここではすべて手動です。これまでの習慣で自動的に温度管理がされると思い込んで、あとで気づくこともあります。ただ、そこは長年の経験からリカバリーできますが、やはり大変です。私が八ヶ岳ブルワリーに来た理由は、中心になってたくさんのビールをつくることが目的ではなく、今あるビールをレベルアップさせることです。そして、このブルワリーを山梨で一番人気に、そして日本中や世界でも認知されるようにしたいと思っています。ビールづくりはチーム全員で学び、自分が得意とするヴァイツェンを名物にできたら嬉しいです。

長年勤められた富士桜高原麦酒を退職され、八ヶ岳に来られた理由を教えてください。
きっかけは前職での異動でした。年齢的な世代交代の流れもあり、ビールを第一線でつくることが難しくなってきました。一度は引退も考えましたが、大好きなビールから離れるのはあまりにも辛く、それはできなかったため、別のブルワリーで続けることを選びました。山梨県には醸造者協議会というものがあり、年末に集まった際に、どこのブルワリーも人材不足であることがわかりました。
2016年に八ヶ岳ブルワリーが火事に見舞われた際、富士桜高原麦酒としてお見舞いに行ったことがありました。その時、役員と一緒にいたにも関わらず、八ヶ岳ブルワリーの社長が「天通さん、助けてくれ!」と言ってくれたことが強く心に残っていました。また、ドイツビールをつくり続けたいということが決め手になり、八ヶ岳ブルワリーに入社することを決めました。他県からのオファーや独立の話もありましたが、山梨県のクラフトビールを盛り上げたいという思いと、八ヶ岳ブルワリーが人とのつながりを大切にしている点に魅力を感じました。富士桜高原麦酒とは人生を共にしてきましたし、自分自身が世界で一番のファンだという自信もあります。しかし、自分のビールもどんどん進化しており、モチベーションも高かったため、その気持ちを持ち続けてビールをつくり続けたかったのです。
離れることはできない、と思わせるほど天通さんの人生において重要なビールですが、出会いはどのようなものでしたか?
私は山梨県富士吉田市の出身で、少年野球が盛んな地域だったため、高校時代は野球部に所属していました。富士桜高原麦酒は富士観光開発という会社の一部門で、高校卒業後に入社した後は、パーキングエリアでお蕎麦をつくったり、スキー場で働いたりしていました。ある日、本社に呼ばれた際、当時の社長から「ビールは好きか?」と聞かれ、「はい」と答えると、ドイツに行ってこいと言われました。言語の問題もあったため一度は断ったのですが、通訳をつけてもらい研修に行くことになりました。
1996年にドイツのドゥーメンス醸造学校に2期生として入学し、数ヶ月間通って資格も取得しました。ドイツに渡る前からビールづくりに対する使命感は持っていましたが、覚悟が決まった瞬間は、初日にミュンヘン空港でヴァイエンステファンのヴァイツェンを飲んだときの衝撃でした。当時の日本は地ビールのブームでいろいろなビールを飲んではいましたが、それらとは比べられないほどの美味しさだったことを覚えています。このような作り手の熱意が伝わるようなビールをつくりたいと思いました。
学校では毎日500ミリリットルのボトルビールを1本選び、自分で選んだビールと一緒に食事をとることも勉強の一環でした。週末の休みにはミュンヘン近郊からデュッセルドルフなどさまざまな場所に飲みに出かけて、1日平均4リットル、土日は8リットルくらい飲んでいたように思います。学業以外にも、ドイツ人のビールに対する熱意や、朝からお茶のように新聞片手にビールを飲む姿を間近で見れたことが、とても刺激になりました。その文化を知っているからこそ、ブラウマイスターという肩書きの重みを理解しており、自分自身はヘッドブルワーや醸造責任者としか名乗りません。一生勉強を続けていきたいです。
八ヶ岳ブルワリーで再出発をされて、印象的だったことはありますか?
6月に入社し、最初の週に八ヶ岳ブルワリーの27周年と私の就任祝いを兼ねたイベントを開催しました。こんな田舎にも関わらず、多くの方々が足を運んで応援してくださり、クラフトビール業界の人と人との繋がりの素晴らしさを改めて実感しました。参加できないと言っていた方々も、直前に時間をなんとか調整して参加してくださり、本当に嬉しかったですし、ビールづくりを辞めなくてよかったと心から感じました。1年目は慣れるまで大変ですが、来年は今年以上に頑張っている姿を見てもらえるように努め、そして新しい八ヶ岳ブルワリーをお見せしたいと思います。

新しい八ヶ岳ブルワリーの姿について、何か現在進行形で考えていることはありますか?
ここのスタンダードビールには、創業当初から提供しているピルスナー、デュンケル、清里ラガーがあります。また、ファーストダウンは以前ヘッドブルワーを務めていた松岡さん(現在は、しまなみブルワリーのオーナーブルワー)が開発したものです。ライスラガーの清里ラガーは地元産の梨北米を使用しており、ファーストダウンもお米を使っているのでこれを私が得意とするヴァイツェンに変えようか、という話があります。スタンダードビールにはラガーが多く、アルコール度数も似通っているため、変えどころは満載なのですが、定着したファンの方々もいます。そこで、2月頃にチョコレートボックをリリースし、通常のプレミアムロック・ボックと比較してもらう機会をつくりたいと考えています。
天通さんの長年の経験からくるアイデアが、八ヶ岳ブルワリーに良い変化をもたらしているのですね!
たしかに現在は、改善案や挑戦したいことが次々と浮かんできます。八ヶ岳ブルワリーでは、併設しているレストランROCKで提供されている濃厚なカレーに合うようにということもあってか、全体的に優しくてスッキリした味わいのビールが多いのですが、ここでの私の第一弾のビールは、カレーのスパイスにモルトのボディがぴったり合うヘレスでした。この機会に、今までの自分の得意分野を超えたスタイルに挑戦しようと思いました。
ほかにも、ビールそのものだけでなく、醸造場の中も自分の経験を活かして改善していきたいと考えています。美味しいビールをつくるには整った環境で醸造する必要があるので、タンクやブルワリーの掃除など、気づいたことは発信しています。さらに、引き継ぎ資料を確認していたところ、糖化する際の回転数が不足していることに気づき、もっとしっかり撹拌するために回転数を上げました。その結果、実際に糖の収率が向上しました。つくり方を少し変更したものをテイスティングし、どちらが良いかを判断しながら改善を続けていきます。
また、通常は濾過で一番搾りをおこない、麦層が見えたらお湯を追加するのが一般的ですが、このブルワリーでは一番搾りですべて絞り切る方法を採用している点が興味深いと感じました。まずは1〜2種類だけ方法を変えてつくることを試しています。清里の伝統を守りつつ、作業効率を向上させて美味しいビールをつくりたいと考えています。現在の仕込み回数は月に8〜9回で、昨年と比べると月に2〜3回増えています。
清里では毎年、フィールドバレエという野外バレエの公演が開催されており、その記念ウイスキーをイチローズモルトで知られる秩父蒸溜所さんやサントリーさんなどの優れたブレンダーの方々に毎回ブレンドしてもらっています。ブルワリーとのコラボも積極的におこなっていきますが、酒類の枠を超えたコラボも実現してみたいと思っています。
八ヶ岳ブルワリーでは、これまで取り組むことができなかったスタイルのビールにも挑戦させてもらえるので、周りのサポートを受けながら自分らしいビールづくりを続けていきたいと思っています。ブルワリーレストランのROCKに入ると、入り口すぐに仕込み窯があり、そこで作業をしているときにはお客さんとの会話も積極的に楽しんでいます。大好きなビールと共に生きている現在の環境や、支えてくれる人たちに心から感謝しています。


